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ナイトカルチャー

横丁が若者で埋まる夜——昭和の路地が令和に受けるわけ

要点 / TL;DR

  • 昭和の路地裏「横丁」に、若い客や外国人観光客が流れ込む夜が増えている
  • 狭さと隣客との距離の近さが、SNS時代の「演出された偶然」として消費されている面がある
  • 常連文化と観光地化のあいだで、古い店主の戸惑いも生まれている
  • ただし家賃や後継者の問題は依然深刻で、賑わいが存続を保証するわけではない

金曜の夜八時半。新宿の細い路地に足を踏み入れると、煙と出汁の匂いが一気に押し寄せる。焼き台の上で串が「じゅうじゅう」と鳴り、二人並べば肩が触れる通路を、グループが詫びながらすり抜けていく。驚いたのは客層だ。かつて中高年の男性ばかりだったこの横丁が、いまは二十代と、スーツケースを引いた外国人観光客で埋まっている。

横丁は、戦後の闇市を起源に持つ場所が多い。老朽化と再開発で姿を消した一帯もある。その「消えゆくもの」が、いま逆に人を呼んでいる。

狭さが価値になった

三坪に満たない店のカウンターで、私は隣り合った大学生と自然に言葉を交わした。彼らはSNSでこの横丁を知ったという。広くて快適なチェーン居酒屋ではなく、わざわざ狭くて不便な路地を選ぶ理由を尋ねると、「知らない人と話せるから」と返ってきた。観光庁の各種調査でも、訪日客が「日本の日常的な路地や酒場」を体験価値として挙げる傾向は繰り返し示されてきた。隣客との距離の近さという、かつては欠点だった要素が、いまは選ばれる理由になっている。

日本経済新聞は、こうした横丁の再評価を不動産・観光の両面から報じてきた。古い建物をあえて残し、内装だけ手を入れて新しい店を入れる手法も広がっている。昭和の見た目はそのままに、中身は令和の客に合わせる。需要があるからこそ成立する更新だ。

常連の席は、どこへ

もっとも、賑わいは古い客を押し出してもいる。三十年通っているという常連の男性は、最近は「自分の席」に座れない夜が増えたとこぼした。彼にとって横丁は観光地ではなく、もう一つの居間だった。一見客で満席の店内で、彼は所在なげにビールを早めに切り上げて出ていった。

店主の側にも戸惑いがある。売上は上がる。だが、客の回転を上げ、写真映えを意識した盛り付けに寄せていくほど、長年の常連が静かに離れていく。賑わいと、その店が積み上げてきた時間とは、必ずしも同じ方向を向かない。

賑わいは存続を保証しない

裏を返せば、いまの活況は構造的な問題を覆い隠してもいる。横丁の多くは借地・借家の上に成り立ち、地価が上がれば真っ先に圧迫される。高齢の店主の引退後、その小さな店を継ぐ人がいるとは限らない。賑わっている夜の景色と、十年後にその店が残っているかは、別の話だ。

路地を出る頃には十一時を回っていた。背後で焼き台の音はまだ続いている。深夜のコンビニが支える生活とは対照的に、横丁は「効率の悪さ」をそのまま売っている。その非効率が、いまは価値として買われている。だが価値が高まることと、場所が守られることは違う。この賑わいが文化の延命なのか、それとも最後の華やぎなのかは、もう少し時間が経たないと分からない。

参考・関連

  1. 日本経済新聞 — 横丁・古い酒場の再評価と不動産活用に関する報道
  2. 観光庁 — 訪日外国人の体験型観光に関する調査資料

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