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シティ & モビリティ

クルマ前提の地方都市で、歩いて暮らせるか試した三日間

要点 / TL;DR

  • クルマ前提で設計された地方都市で、車を使わず三日間暮らせるか自分で試した
  • 徒歩と路線バスだけでは、買い物も移動も想定の倍以上の時間がかかった
  • 公共交通の本数の少なさが、車を持たない選択を事実上不可能にしている
  • もっとも、中心部の徒歩圏を再評価する「コンパクトシティ」の議論は各地で進んでいる

東京で暮らしていると、車がなくても困らない。だが地方都市はそうはいかない、とよく言われる。本当にそうなのか。私は、人口数十万のある地方都市を訪れ、レンタカーを借りずに三日間を過ごす、という単純な実験をしてみた。結論を先に言えば、二日目の夕方には心が折れかけた。

一日目:駅前は、街の中心ではなかった

到着した駅前は、思ったより閑散としていた。商業の中心は、駅から離れた幹線道路沿いの大型店に移っていた。徒歩で向かおうとして、すぐに気づく。歩道が途切れる。横断歩道が遠い。道は車のために最適化され、歩く人を想定していない。三十分歩いて、たどり着いたのは一軒のスーパーだけだった。

国土交通省は、こうした自動車依存型の都市構造の課題を長く指摘してきた。郊外への拡散は、車を運転できる人には快適でも、運転できない人を移動から締め出す。私はその「締め出される側」を、たった一日で体験することになった。

二日目:バスの時刻表が生活を縛る

二日目は路線バスに賭けた。だが、目当ての路線は一時間に一本。乗り遅れれば次まで一時間、棒に振る。目的地での用事は十分で済むのに、往復の待ち時間を含めると二時間半が消えた。東京の感覚で組んだ予定は、ことごとく崩れた。

夕方、バス停のベンチで時刻表を見上げながら、私はようやく腑に落ちた。ここで車を持たないという選択は、不便なのではない。生活の設計そのものが成り立たない。NHKの地域報道や各自治体の資料が繰り返し伝えてきた「移動弱者」「買い物難民」という言葉の重さを、足の疲れとして実感した。

三日目:徒歩圏に、街はまだ残っていた

三日目、私は移動を諦め、宿の徒歩圏だけで過ごすことにした。すると意外なことに気づく。古くからの中心市街地には、個人経営の食堂や商店が、まだ静かに残っていた。歩いて回れる範囲に、生活の最低限はかろうじて成立していた。

各地で議論される「コンパクトシティ」は、まさにこの徒歩圏に都市機能を集め直そうとする考え方だ。拡散した街を畳み、歩いて暮らせる中心を取り戻す。理屈は分かる。もっとも、いったん幹線道路沿いに移った商業や、車中心に作られた生活習慣を巻き戻すのは、容易ではない。私が三日で音を上げた不便を、住民は日常として受け入れ、その上で車を手放せずにいる。

裏を返せば、この街の人々が車を持つのは、贅沢でも怠惰でもなく、合理的な必然だった。キャッシュレスから取り残される場所と同じで、便利さの前提が一つ欠けるだけで、生活は途端に成り立たなくなる。三日間の実験で私が得たのは、車を持たない暮らしの提案ではない。車を持たざるをえない街の構造を、外から来た者が安易に批評してはいけない、という戒めのほうだった。

参考・関連

  1. 国土交通省 — 都市構造とコンパクトシティ施策に関する資料
  2. NHK — 地方の公共交通と「移動弱者」に関する地域報道

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