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シティ & モビリティ

深夜のコンビニが支える、眠らない街の生活

要点 / TL;DR

  • 深夜のコンビニは、商品を売る場所であると同時に、夜働く人々の生活インフラになっている
  • 二十四時間営業の是非は、人手不足と本部・加盟店の関係をめぐる議論として続いてきた
  • 時短営業を選ぶ店舗も現れ、「夜は必ず開いている」という前提は揺らいでいる
  • もっとも、夜勤者やひとり暮らしにとって、深夜に開く一軒の重みは数字に表れにくい

午前三時のコンビニで、私は深夜帯の店員と短く言葉を交わした。客は私のほかに、作業着の男性が一人だけ。蛍光灯の白い光の下で、おでんの出汁が「くつくつ」と低く鳴っていた。眠らない街を、こういう一軒が支えている。その実感を確かめたくて、レジが空いた隙に話を聞いた。以下は、そのやりとりの再構成だ。

「夜のお客さんは、決まってる」

——深夜って、やっぱり暇ですか。

「波がありますね。終電後にどっと来て、そのあと二時間くらい静か。三時を回ると、また別のお客さんが来ます。夜勤明けの人、タクシーの運転手さん、近所のひとり暮らしの方。だいたい顔ぶれは決まってます」

——コンビニというより、生活の一部みたいな。

「そうですね。『いつもの』を買って、ひとこと話して帰る方も多いです。売上だけ見たら、深夜は効率悪いんでしょうけど」

この「効率は悪い」という一言に、いまのコンビニが抱える論点が凝縮されている。

二十四時間という前提が揺れている

長らく、コンビニは「夜中でも必ず開いている」存在だった。だが、その前提はここ数年で明確に揺らいでいる。深刻な人手不足を背景に、深夜営業を続けることの負担が、加盟店オーナーから強く問題提起されるようになった。日本経済新聞をはじめ各メディアは、本部と加盟店のあいだの二十四時間営業をめぐる対立を、長期にわたって報じてきた。

結果として、深夜の時短営業を選ぶ店舗も現れた。経済産業省も、コンビニを社会インフラとして捉えつつ、その持続可能性に関する検討を進めてきた。「いつでも開いている便利さ」は、誰かの深夜労働の上に成り立っていた。その誰かが足りなくなれば、前提そのものが崩れる。

数字に出ない重み

——もし深夜を閉めることになったら。

「困る人はいると思います。さっきの作業着の方、毎晩同じ時間に来るんですよ。あの方たちにとっては、ここしか開いてない」

店員の言葉は、効率では割り切れない部分を突いていた。深夜帯の売上が薄いのは事実だろう。だが、夜勤明けに温かい食べ物を買える場所が、半径数キロに一軒しかない人にとって、その一軒は統計上の「低効率店舗」では片づかない。横丁の賑わいが文化の延命を保証しないのと同じで、ここでも数字と、人が場所に寄せる意味とはずれている。

もっとも、その重みを店員個人の善意や、加盟店オーナーの自己犠牲に頼り続けるのは無理がある。深夜のインフラを誰がどう負担するのか——本部か、社会か、利用者か。その答えが出ないまま、「夜は開いている」という前提だけが、惰性で延命されてきた。

三時半、私が店を出るとき、入れ替わるように別の作業着の男性が入ってきた。店員は名前こそ呼ばないが、明らかに顔を覚えている様子だった。裏を返せば、深夜のコンビニが売っているのは商品だけではない。夜に開いている、という事実そのものを売っている。その事実が、いつまで当たり前でいられるのかは、もう誰にも約束できない。

参考・関連

  1. 日本経済新聞 — コンビニ24時間営業と本部・加盟店関係に関する報道
  2. 経済産業省 — コンビニエンスストアの持続可能性に関する検討資料

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